2007年09月06日
遠因はそこにあったか!
20:00過ぎですね。
ぼちぼち帰宅の途につきます。
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以下は当社HPの7月27日の日記からの転載です。
珍しく(?)ちょっと真面目な内容かも。
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数日前、某全国紙が発行部数800万部と自らの紙面で述べていました。「あれ、以前は900万部くらいじゃなかったっけ。減ったのかな。」とちょっと首をひねりました。でもそれからすぐに、「インターネットの影響がきっとあるんだろうな」と思い至りました。
新聞を購読しなくても、その新聞社が運営するインターネットのサイトでニュースの多くを読むことができます(私もよくアクセスしています)。それに、即時性では朝・夕刊行の新聞よりも優れているわけで、「新聞不要」と見る向きは増えているのでしょう。
さらにネットで便利な点に、調べ物、つまり検索が容易にできることが挙げられます。
キーワードを打ち込めば、自宅に居ながらにして多くのことを明らかにすることができます。画像や動画だってあります。ほんの少し前までは、何を調べるにしても図書館や書店、政府・自治体の機関などに出向かなくてはならなかったわけですから、現代は、労を掛けずして果実を得る、という有難い時代になったとも言えますね。
とはいえ、個人的には、足で調べることをしなくてもいい、とは考えません。
何事かを追究するのに、書類・書物を読み漁り、関係者に直接話しを聞き、現地の地勢を見聞する、といった作業を積み重ねるほど、実相というものが立体的に明らかになるのではないでしょうか。それに、このような経験があればこそ、人として物事を見極める基礎能力を高めることが可能になるとも、私は考えます。
レポート作成の課題に、ネットで調べてはい出来上がりと思ったら、他人のレポートも皆同じだった、ということが米国であったそうです。ネットで調べること自体を否定する気は毛頭ありませんが、それだけで済ませようという風潮が広まると、深く考えずに表層に流されやすい世の中にならないかと、ちょっぴり心配もしています。
私もよく調べ物をしていましたが、百科事典などを開くと、目的の項目にたどり着く前に別の面白そうな項目に目が移って読み込んだり、関連記事を芋づる式に引いていったりと、本来目的とは別の余禄で楽しめることが少なくありませんでした。そういう経験、悪くないですよ。
学生時代、先輩の一人が、「一見無駄とも思えることの積み重ねが、いつか成果につながる」的な意味合いの言葉を研究室内の会報に寄せていました。この言葉、不思議と私の胸に刻まれ、座右の銘ではありませんが、無意識下の行動指針の一つになっているようであります。
だから無駄なものも捨てられずに「モノモチがいい」なんてほざいているんだ、と思われた方。よくこの“マンボウくんのひとりごと”を読み込んでいらっしゃいますね!
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アイウィッシュアカデミーのHPの
“マンボウくんのひとりごと”には、当ブログ掲載前の7月からの
日記があります。
お時間あればお立ち寄りください。
ぼちぼち帰宅の途につきます。
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以下は当社HPの7月27日の日記からの転載です。
珍しく(?)ちょっと真面目な内容かも。
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数日前、某全国紙が発行部数800万部と自らの紙面で述べていました。「あれ、以前は900万部くらいじゃなかったっけ。減ったのかな。」とちょっと首をひねりました。でもそれからすぐに、「インターネットの影響がきっとあるんだろうな」と思い至りました。
新聞を購読しなくても、その新聞社が運営するインターネットのサイトでニュースの多くを読むことができます(私もよくアクセスしています)。それに、即時性では朝・夕刊行の新聞よりも優れているわけで、「新聞不要」と見る向きは増えているのでしょう。
さらにネットで便利な点に、調べ物、つまり検索が容易にできることが挙げられます。
キーワードを打ち込めば、自宅に居ながらにして多くのことを明らかにすることができます。画像や動画だってあります。ほんの少し前までは、何を調べるにしても図書館や書店、政府・自治体の機関などに出向かなくてはならなかったわけですから、現代は、労を掛けずして果実を得る、という有難い時代になったとも言えますね。
とはいえ、個人的には、足で調べることをしなくてもいい、とは考えません。
何事かを追究するのに、書類・書物を読み漁り、関係者に直接話しを聞き、現地の地勢を見聞する、といった作業を積み重ねるほど、実相というものが立体的に明らかになるのではないでしょうか。それに、このような経験があればこそ、人として物事を見極める基礎能力を高めることが可能になるとも、私は考えます。
レポート作成の課題に、ネットで調べてはい出来上がりと思ったら、他人のレポートも皆同じだった、ということが米国であったそうです。ネットで調べること自体を否定する気は毛頭ありませんが、それだけで済ませようという風潮が広まると、深く考えずに表層に流されやすい世の中にならないかと、ちょっぴり心配もしています。
私もよく調べ物をしていましたが、百科事典などを開くと、目的の項目にたどり着く前に別の面白そうな項目に目が移って読み込んだり、関連記事を芋づる式に引いていったりと、本来目的とは別の余禄で楽しめることが少なくありませんでした。そういう経験、悪くないですよ。
学生時代、先輩の一人が、「一見無駄とも思えることの積み重ねが、いつか成果につながる」的な意味合いの言葉を研究室内の会報に寄せていました。この言葉、不思議と私の胸に刻まれ、座右の銘ではありませんが、無意識下の行動指針の一つになっているようであります。
だから無駄なものも捨てられずに「モノモチがいい」なんてほざいているんだ、と思われた方。よくこの“マンボウくんのひとりごと”を読み込んでいらっしゃいますね!
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アイウィッシュアカデミーのHPの
“マンボウくんのひとりごと”には、当ブログ掲載前の7月からの
日記があります。
お時間あればお立ち寄りください。
Posted by マンボウくん at 20:08│Comments(0)
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