2008年09月30日
北海道ツーリングの思い出(11)・知床その2
ほぼ1週間ぶりの北海道ツーリングの話、その11です。
今回は、知床半島西岸を海上からめぐる漁船での遊覧の話です。
岩尾別YHからバスに乗って、漁船が係留されているウトロ港へ。
天候はどんよりとした小雨模様でした。
乗船客は10数名くらいでしたでしょうか。そんなに大きな船ではありません。
港を出発して、船長が操舵しながら観光ポイントを説明してくれます。
有名なカムイワッカの滝につながる滝(だったかな?)や、その他にも川や滝がいくつも。
手付かずの自然の世界です。
途中、オジロワシにも遭遇しました。
フェリー型の遊覧船では行けないという、知床半島の先端の漁業基地の間近にも行きました。
この漁業基地は夏場だけ使われるそうで、陸路でたどり着くには、海岸沿いの道なき道を、確か二泊三日ほどもかかるのではなかったでしょうか。
そんな遊覧航行の帰り。
船長は釣竿を乗客に渡して、釣りを指南。
ちょっと船酔い気味で気分が悪かった私も、無理やり釣竿を握らせられることに。
仕方なく釣り糸を垂れていましたが、アタリもなく、中途半端にしていると、「そんなんじゃダメだよ」と船長。
放っておいてほしかったですけど・・・・・・。まぁ、船長としては乗客に釣果を上げて帰ってもらいたかったのかもしれません。
そんなこんなで港に戻り、下船したわけですが、YH方面に行くバスの時刻までは3時間以上もあります。
港には、数軒の土産物屋があるだけ。
仕方なく、アイヌ彫りのお店に入ると、30過ぎの店主が歯ブラシをくわえながら出迎え。
あまり期待せずに土産の品々を物色する私。
店にはもう一人、若い店員がいて、その店員と少々雑談。
店員からアイヌ彫りの鏃型のお守りの説明を聞くうちに、その1つを手にしました。
刻まれた彫りひとつひとつに意味があるというそのお守り。なぜか気に入り、購入しました。
そのあとも店員と雑談を交わしているうちに、バスを待つ時間がすぐに過ぎました。
船には酔いましたが、なかなか満足した一日でした。
ちなみに、この日は北海道で唯一オートバイに乗らない一日でしたね。
続きはまた。
今回は、知床半島西岸を海上からめぐる漁船での遊覧の話です。
岩尾別YHからバスに乗って、漁船が係留されているウトロ港へ。
天候はどんよりとした小雨模様でした。
乗船客は10数名くらいでしたでしょうか。そんなに大きな船ではありません。
港を出発して、船長が操舵しながら観光ポイントを説明してくれます。
有名なカムイワッカの滝につながる滝(だったかな?)や、その他にも川や滝がいくつも。
手付かずの自然の世界です。
途中、オジロワシにも遭遇しました。
フェリー型の遊覧船では行けないという、知床半島の先端の漁業基地の間近にも行きました。
この漁業基地は夏場だけ使われるそうで、陸路でたどり着くには、海岸沿いの道なき道を、確か二泊三日ほどもかかるのではなかったでしょうか。
そんな遊覧航行の帰り。
船長は釣竿を乗客に渡して、釣りを指南。
ちょっと船酔い気味で気分が悪かった私も、無理やり釣竿を握らせられることに。
仕方なく釣り糸を垂れていましたが、アタリもなく、中途半端にしていると、「そんなんじゃダメだよ」と船長。
放っておいてほしかったですけど・・・・・・。まぁ、船長としては乗客に釣果を上げて帰ってもらいたかったのかもしれません。
そんなこんなで港に戻り、下船したわけですが、YH方面に行くバスの時刻までは3時間以上もあります。
港には、数軒の土産物屋があるだけ。
仕方なく、アイヌ彫りのお店に入ると、30過ぎの店主が歯ブラシをくわえながら出迎え。
あまり期待せずに土産の品々を物色する私。
店にはもう一人、若い店員がいて、その店員と少々雑談。
店員からアイヌ彫りの鏃型のお守りの説明を聞くうちに、その1つを手にしました。
刻まれた彫りひとつひとつに意味があるというそのお守り。なぜか気に入り、購入しました。
そのあとも店員と雑談を交わしているうちに、バスを待つ時間がすぐに過ぎました。
船には酔いましたが、なかなか満足した一日でした。
ちなみに、この日は北海道で唯一オートバイに乗らない一日でしたね。
続きはまた。
2008年09月29日
ちょっと不足気味だったのは……
ゆうべは結構遅くまで起きていた上、床に就いたあとも眠りが浅く、朝の起床は、ちょっとすっきりしませんでした。
それでも、昼間は普段通りでしたが、夜になって、睡魔が忍び寄ってきました。
パソコンに向かっていながら、ふっと気づくと瞼が降りてきています。
集中力も落ちてきたので、今夜はそこで仕事を切り上げました。
今夜は、ちゃんと眠りたいですね。
それでも、昼間は普段通りでしたが、夜になって、睡魔が忍び寄ってきました。
パソコンに向かっていながら、ふっと気づくと瞼が降りてきています。
集中力も落ちてきたので、今夜はそこで仕事を切り上げました。
今夜は、ちゃんと眠りたいですね。
2008年09月28日
MOTO GP
今日の午後、二輪のMOTO GP、日本グランプリをTV観戦しました。
最高峰のMOTO GPクラスの決勝レースは、二輪GPレースの申し子・イタリアのヴァレンティーノ・ロッシが快勝。年間チャンピオンも決めました。
10代で125ccクラスのチャンピオンになったのを皮切りに、250ccクラスでも2年目でチャンピオン獲得。そして最高峰の500ccクラスにステップアップし、ここでも2年目にチャンピオンに。以来、500cc・MOTO GPクラスで5年連続チャンピオンを達成。
とにかくロッシの場合、マシンコントロールが抜群で、マシンの特性を知り尽くしての乗りこなしは、若い頃から他のライダーより一枚上でした。幼少期から慣れ親しんだ二輪のマシンに、体が自然に反応するという感じでした。
愛嬌のある性格もあって、かつては“ロッシ君”と呼んでいましたが、そのロッシ君もいまや29歳。でも、憎めない性格は相変わらずのようです。2005年以来の3年ぶりのチャンピン、おめでとう。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
数年前までは、NHKのBSでMOTO GP全戦が放送されていましたが、今は無くなってしまい、残念です。
モータースポーツといえば、日本では四輪のF1が人気と思いますが、レースとしては、二輪の方が抜きつ抜かれつのバトルシーンが多く、面白いと私は思っています。
MOTO GPのパーマネント放送が復活することを、ひそかに願っている私です。
最高峰のMOTO GPクラスの決勝レースは、二輪GPレースの申し子・イタリアのヴァレンティーノ・ロッシが快勝。年間チャンピオンも決めました。
10代で125ccクラスのチャンピオンになったのを皮切りに、250ccクラスでも2年目でチャンピオン獲得。そして最高峰の500ccクラスにステップアップし、ここでも2年目にチャンピオンに。以来、500cc・MOTO GPクラスで5年連続チャンピオンを達成。
とにかくロッシの場合、マシンコントロールが抜群で、マシンの特性を知り尽くしての乗りこなしは、若い頃から他のライダーより一枚上でした。幼少期から慣れ親しんだ二輪のマシンに、体が自然に反応するという感じでした。
愛嬌のある性格もあって、かつては“ロッシ君”と呼んでいましたが、そのロッシ君もいまや29歳。でも、憎めない性格は相変わらずのようです。2005年以来の3年ぶりのチャンピン、おめでとう。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
数年前までは、NHKのBSでMOTO GP全戦が放送されていましたが、今は無くなってしまい、残念です。
モータースポーツといえば、日本では四輪のF1が人気と思いますが、レースとしては、二輪の方が抜きつ抜かれつのバトルシーンが多く、面白いと私は思っています。
MOTO GPのパーマネント放送が復活することを、ひそかに願っている私です。
2008年09月28日
ポール・ニューマン逝く
アメリカの映画俳優、ポール・ニューマンの訃報が入ってきました。
ポール・ニューマンと言えば、ロバート・レッドフォードと競演した「明日に向かって撃て」「スティング」が思い浮かびます。特に「スティング」での詐欺師振り、葉巻をくわえた粋な姿は、とてもサマになっていましたね。
彼はビール好きでも有名でしたが、ビール太りを防ぐためにジョギングを欠かさない≒ビールを飲みたいがためにジョギングする、というエピソードも妙に頭に残っています。真似したいのですが、なかなか・・・・・・。
そのような彼も、少し前に俳優引退を宣言。そして、83歳にて彼岸の人となりました。
ご冥福をお祈りします。
ポール・ニューマンと言えば、ロバート・レッドフォードと競演した「明日に向かって撃て」「スティング」が思い浮かびます。特に「スティング」での詐欺師振り、葉巻をくわえた粋な姿は、とてもサマになっていましたね。
彼はビール好きでも有名でしたが、ビール太りを防ぐためにジョギングを欠かさない≒ビールを飲みたいがためにジョギングする、というエピソードも妙に頭に残っています。真似したいのですが、なかなか・・・・・・。
そのような彼も、少し前に俳優引退を宣言。そして、83歳にて彼岸の人となりました。
ご冥福をお祈りします。
2008年09月26日
北海道ツーリングの思い出(10)・知床その1
ちょっと久しぶりの北海道ツーリングの話、その10です。
摩周湖YHから、向かうは知床半島。
弟子屈から小清水・斜里を経て、オホーツク海沿岸の道を走ります。
ちなみに、小清水から斜里にかけても、長い直線道があります。
左右に畑が広がる中のまっすぐな道。ちょっと穴場でしょうか。
海沿いの道を走り、ウトロに到着。知床半島西側の港町です。
この日はウトロは通過して、岩尾別の知床五湖へ行きました。
駐車場にバイクを停め、遊歩道を通って湖をまわりました。
静かな中に佇む湖。
屈斜路湖や摩周湖のような大きな湖とはまったく異なる趣の湖です。
遊歩道の周りは、クマザサが生い茂っていました。
他の観光客も結構いましたが、遊歩道の途中、前後に人がいなくなったときがあり、今クマザサの間からヒグマが出てきたらどうしようと、ちょっとビビりながら歩いたことを覚えています。
幸い、クマと遭遇することなく、無事に知床五湖を後にし、この日は近くの岩尾別YHに宿泊しました。
この岩尾別YHでのミーティングで、漁船に乗って海上から知床半島を遊覧するツアーがあることを知り、即、申し込みました。
ということで、連泊することにして、翌日はウトロから漁船に乗船です。
続きはまたいずれ。
摩周湖YHから、向かうは知床半島。
弟子屈から小清水・斜里を経て、オホーツク海沿岸の道を走ります。
ちなみに、小清水から斜里にかけても、長い直線道があります。
左右に畑が広がる中のまっすぐな道。ちょっと穴場でしょうか。
海沿いの道を走り、ウトロに到着。知床半島西側の港町です。
この日はウトロは通過して、岩尾別の知床五湖へ行きました。
駐車場にバイクを停め、遊歩道を通って湖をまわりました。
静かな中に佇む湖。
屈斜路湖や摩周湖のような大きな湖とはまったく異なる趣の湖です。
遊歩道の周りは、クマザサが生い茂っていました。
他の観光客も結構いましたが、遊歩道の途中、前後に人がいなくなったときがあり、今クマザサの間からヒグマが出てきたらどうしようと、ちょっとビビりながら歩いたことを覚えています。
幸い、クマと遭遇することなく、無事に知床五湖を後にし、この日は近くの岩尾別YHに宿泊しました。
この岩尾別YHでのミーティングで、漁船に乗って海上から知床半島を遊覧するツアーがあることを知り、即、申し込みました。
ということで、連泊することにして、翌日はウトロから漁船に乗船です。
続きはまたいずれ。
2008年09月25日
王監督への想い
昨日書けなかったこと。それは、王監督への想いです。
私が野球というスポーツに目を向け始めたのは、王選手が2年連続の三冠王を獲得し、長嶋選手が現役を引退した昭和49年、1974年のことです。
以来、私は永く、巨人ファン、王貞治選手のファンでした。
特に王選手のことは、友だちとの会話の中で「昨日ワンちゃんホームラン打ったね」などと、勝手に「ワンちゃん」と呼ぶほど、親しみを持っていました。
巨人が負けても、王選手が活躍していれば満足している、そんなところがありました。
長嶋選手が引退して、苦しんだ昭和50年のシーズン。連続本塁打王の記録を田淵選手に阻まれ、悔しい思いをしました。
翌昭和51年・52年は、調子を戻してホームランを量産し、通算記録でルース、アーロンの記録を破った年で、毎夜プロ野球ニュースを観るのを楽しみにしていました。
そんな王選手も1980年に現役引退。寂しい想いが去来しました。
その後、巨人の助監督・監督を経て、1995年にホークスの監督に。
当時、私は福岡を離れており、地元の歓迎振りがどれほどであったかはわかりませんが、生卵事件には、“どうしてそんなことを”という憤りがありました。
それから、よく東京ドームにホークス・ファイターズ戦を観に行くようになりましたが、当初はやはり負け試合が多く、「残念」と噛みしめながら帰宅の途についていました。ようやく勝ちが増えたのは、初優勝の前年頃からだったでしょうか。
帰福してからも、年に数回、福岡ドームに観戦に行っていますが、今度はほとんど勝ち試合。王監督の指導が選手たちに浸透した時代だったと言えるのでしょう。
残念ながら、今月に入ってホークスの成績は低迷。王監督も、責任を感じていたことでしょう。
子どもの頃に感じていた、王選手への親愛の情は、今は尊敬へと変わり、その偉大さを改めて感じています。
まだまだと思っていた監督退任の日も、ついに来ました。
時は静かに移ろいゆく。
なにごとも、ひとところに落ち着くものではありません。
王監督、お疲れ様でした。
ただ、これからも日本の野球界を温かく見守ってほしいと願っています。
私が野球というスポーツに目を向け始めたのは、王選手が2年連続の三冠王を獲得し、長嶋選手が現役を引退した昭和49年、1974年のことです。
以来、私は永く、巨人ファン、王貞治選手のファンでした。
特に王選手のことは、友だちとの会話の中で「昨日ワンちゃんホームラン打ったね」などと、勝手に「ワンちゃん」と呼ぶほど、親しみを持っていました。
巨人が負けても、王選手が活躍していれば満足している、そんなところがありました。
長嶋選手が引退して、苦しんだ昭和50年のシーズン。連続本塁打王の記録を田淵選手に阻まれ、悔しい思いをしました。
翌昭和51年・52年は、調子を戻してホームランを量産し、通算記録でルース、アーロンの記録を破った年で、毎夜プロ野球ニュースを観るのを楽しみにしていました。
そんな王選手も1980年に現役引退。寂しい想いが去来しました。
その後、巨人の助監督・監督を経て、1995年にホークスの監督に。
当時、私は福岡を離れており、地元の歓迎振りがどれほどであったかはわかりませんが、生卵事件には、“どうしてそんなことを”という憤りがありました。
それから、よく東京ドームにホークス・ファイターズ戦を観に行くようになりましたが、当初はやはり負け試合が多く、「残念」と噛みしめながら帰宅の途についていました。ようやく勝ちが増えたのは、初優勝の前年頃からだったでしょうか。
帰福してからも、年に数回、福岡ドームに観戦に行っていますが、今度はほとんど勝ち試合。王監督の指導が選手たちに浸透した時代だったと言えるのでしょう。
残念ながら、今月に入ってホークスの成績は低迷。王監督も、責任を感じていたことでしょう。
子どもの頃に感じていた、王選手への親愛の情は、今は尊敬へと変わり、その偉大さを改めて感じています。
まだまだと思っていた監督退任の日も、ついに来ました。
時は静かに移ろいゆく。
なにごとも、ひとところに落ち着くものではありません。
王監督、お疲れ様でした。
ただ、これからも日本の野球界を温かく見守ってほしいと願っています。
2008年09月24日
もうこんな時刻!?
祝日明けの本日、気付けばもう23:00.
たまりつつある仕事を、ついつい続けてしまっていました。
これから急いで帰り支度です。
ちょっと書こうと思っていたこともあったのですが、明日に回します。
ということで、今日は何も無い内容となりました。悪しからず。
たまりつつある仕事を、ついつい続けてしまっていました。
これから急いで帰り支度です。
ちょっと書こうと思っていたこともあったのですが、明日に回します。
ということで、今日は何も無い内容となりました。悪しからず。
2008年09月23日
お彼岸
彼岸の中日、父親とともに祖父母の納骨堂参りに行ってきました。
父方の祖父母の納骨堂には行ったことがありましたが、母方の方は初めて。
訪れたことのない街ですが、祖父母や母がかつて過ごした場所であることに思いを運ぶと、感慨深いものがありました。
若い頃は“ご先祖様”を意識することはあまりありませんでしたが、連綿と続く命のつながりの末に、自身の存在や子の存在があることを、今は考えます。
ご先祖様に感謝、です。
父方の祖父母の納骨堂には行ったことがありましたが、母方の方は初めて。
訪れたことのない街ですが、祖父母や母がかつて過ごした場所であることに思いを運ぶと、感慨深いものがありました。
若い頃は“ご先祖様”を意識することはあまりありませんでしたが、連綿と続く命のつながりの末に、自身の存在や子の存在があることを、今は考えます。
ご先祖様に感謝、です。
2008年09月22日
飛び石連休の中日。
週始め。
ですが、明日はまた休日。
明日の休みの分まで、というつもりで仕事をしていても、いまひとつペースが上がりません。
知らず知らず、気持ちに緩みがあったかもしれません。
ということで、明後日からはまた気を引き締めて仕事に打ち込まねば。
明日はご先祖様詣での予定です。
ですが、明日はまた休日。
明日の休みの分まで、というつもりで仕事をしていても、いまひとつペースが上がりません。
知らず知らず、気持ちに緩みがあったかもしれません。
ということで、明後日からはまた気を引き締めて仕事に打ち込まねば。
明日はご先祖様詣での予定です。
2008年09月21日
セ・リーグ優勝争い
プロ野球のセ・リーグは、とうとう巨人が阪神と並びましたね。
開幕から独走して、7月上旬には2位に13ゲーム差もつけていた阪神。セ・リーグ1位は間違いないと思っていましたが、ここにきて巨人の勢いに押されています。こんな展開になるとは、予想もしていなかったですね。
巨人ファン一家に育った my 奥さんは、今日の巨人勝利の報にニコニコ顔。それはそうでしょうね。
盛り上がるセ・リーグ終盤戦。緊迫度が増して、ちょっと気になりますね。
開幕から独走して、7月上旬には2位に13ゲーム差もつけていた阪神。セ・リーグ1位は間違いないと思っていましたが、ここにきて巨人の勢いに押されています。こんな展開になるとは、予想もしていなかったですね。
巨人ファン一家に育った my 奥さんは、今日の巨人勝利の報にニコニコ顔。それはそうでしょうね。
盛り上がるセ・リーグ終盤戦。緊迫度が増して、ちょっと気になりますね。
2008年09月20日
今週もトップリーグ観戦

応援するブルースは、先週は敗れましたが、今日は見事勝利!
とはいえ、終盤に同点に追い付かれ、一時はどうなるかとヒヤヒヤ。
その後、最終盤に勝ち越しのトライ。何とか逃げ切り、勝利。
ノーサイドと同時に上がった花火が、先週とは違って見えました。
Posted by マンボウくん at
23:23
│Comments(0)
2008年09月19日
パラリンピックを観て
さきほど、TVで北京パラリンピックの総集編を観ましたが、選手たちの競技の様子には、驚きと感動の連続です。
競技に打ち込む姿と、あらん限りの力と工夫で記録と順位を競う姿には、敬意を払うほかありません。
わが身を振り返り、彼らに負けないくらい、向くべき方向に余りなく力を注いでいるか、改めて自身を問うたりもしましたね。
それと、競技後のインタビューで、「苦労をかけた親に感謝します」とのコメントには、胸に来るものがありました。もし私が彼の親だったら、涙が止まらなくなったでしょうね。
・ ・ ・ ・ ・
パラリンピック大会期間中は、ニュースでしか競技を見る機会がありませんでしたが、ちょっと後悔ですね。
競技に打ち込む姿と、あらん限りの力と工夫で記録と順位を競う姿には、敬意を払うほかありません。
わが身を振り返り、彼らに負けないくらい、向くべき方向に余りなく力を注いでいるか、改めて自身を問うたりもしましたね。
それと、競技後のインタビューで、「苦労をかけた親に感謝します」とのコメントには、胸に来るものがありました。もし私が彼の親だったら、涙が止まらなくなったでしょうね。
・ ・ ・ ・ ・
パラリンピック大会期間中は、ニュースでしか競技を見る機会がありませんでしたが、ちょっと後悔ですね。
2008年09月18日
襟足が気になります。
今日は早めに切り上げて・・・と思っていましたが、結局この時刻。まもなく、21:00です。
そろそろ鬱陶しくなってきた髪を切りに行きたかったのですが、今日はもう無理。
とくに襟足のところ、一度気にしだすと、鬱陶しい気分が膨張してきます。
もう1日か2日、我慢しなくては。
明日がヤマですね。
そうこう言っている間も、何度も手が襟足に・・・。
あぁ、鬱陶しい!
そろそろ鬱陶しくなってきた髪を切りに行きたかったのですが、今日はもう無理。
とくに襟足のところ、一度気にしだすと、鬱陶しい気分が膨張してきます。
もう1日か2日、我慢しなくては。
明日がヤマですね。
そうこう言っている間も、何度も手が襟足に・・・。
あぁ、鬱陶しい!
2008年09月17日
北海道ツーリングの思い出(10)・開陽台
昨日に続き、北海道ツーリングの話、その10ですね。
8月の下旬に、学生時代の同じ時期に出かけた北海道ソロツーリングのことをふと思い出し、そのことを話のタネとして投稿していますが、何せおよそ20年前のこと。記憶もあやふやなところが多々あります。
摩周YHに宿泊した翌日のことも、ちょっと記憶が不確か。
連泊して近場をバイクで回ったか、それとも次の目的地にすぐに向かったか、はっきり覚えていないのです。
摩周YHに連泊していたとすると、早朝、摩周湖の展望台まで徒歩で往復したその日、多分、開陽台に行ったと思います。
開陽台には間違いなく行ってはいるのですが、この日だったか、それよりもあとだったか、はっきりしません。
ともあれ、本日は開陽台の話。
開陽台といえば、地平線が見える丘、として当時から有名。
それと、開陽台に至る途中の、長く続く直線路も有名。
アップダウンがあり、遠くまで一直線の道を見ることができるのです。私も愛車を停めて記念撮影しました。
開陽台からの眺望。
一部を除いて、周囲に地平線が広がります。天気もよく、根釧台地方面から北方領土方面まで眺めたのを覚えています。
ただ、確かに広く雄大な景色ではありますが、個人的には美幌峠からの眺望の方が好きです。
そのせいか、開陽台からの眺めそのものは、いまひとつはっきりとは思い出せないのです。漠としたイメージは残っているのですけれど。
あと、開陽台では、野宿するライダーのテントが目立ちましたね。ライダーの間では“憧れの地”としても知られていましたから。
まぁ、私もミーハーの一人として開陽台を訪れたクチです。とりあえず、押さえておかなくては、と。
という、開陽台の思い出でした。
次は、知床方面に向かいます。
8月の下旬に、学生時代の同じ時期に出かけた北海道ソロツーリングのことをふと思い出し、そのことを話のタネとして投稿していますが、何せおよそ20年前のこと。記憶もあやふやなところが多々あります。
摩周YHに宿泊した翌日のことも、ちょっと記憶が不確か。
連泊して近場をバイクで回ったか、それとも次の目的地にすぐに向かったか、はっきり覚えていないのです。
摩周YHに連泊していたとすると、早朝、摩周湖の展望台まで徒歩で往復したその日、多分、開陽台に行ったと思います。
開陽台には間違いなく行ってはいるのですが、この日だったか、それよりもあとだったか、はっきりしません。
ともあれ、本日は開陽台の話。
開陽台といえば、地平線が見える丘、として当時から有名。
それと、開陽台に至る途中の、長く続く直線路も有名。
アップダウンがあり、遠くまで一直線の道を見ることができるのです。私も愛車を停めて記念撮影しました。
開陽台からの眺望。
一部を除いて、周囲に地平線が広がります。天気もよく、根釧台地方面から北方領土方面まで眺めたのを覚えています。
ただ、確かに広く雄大な景色ではありますが、個人的には美幌峠からの眺望の方が好きです。
そのせいか、開陽台からの眺めそのものは、いまひとつはっきりとは思い出せないのです。漠としたイメージは残っているのですけれど。
あと、開陽台では、野宿するライダーのテントが目立ちましたね。ライダーの間では“憧れの地”としても知られていましたから。
まぁ、私もミーハーの一人として開陽台を訪れたクチです。とりあえず、押さえておかなくては、と。
という、開陽台の思い出でした。
次は、知床方面に向かいます。
2008年09月16日
北海道ツーリングの思い出(9)・摩周湖その2
ちょっと間があきましたが、北海道ツーリングの話の続き、その9くらいですね。
前回は、初めての摩周湖の眺望まででした。
この時、私が行ったのは第三展望台。大きな駐車場がある第一展望台に比べると、ひなびた展望台です。
しかし、眺めという点では、第三展望台の方が上と思います。それは、湖中央に浮かぶ小島・カムイッシュ島がより間近に見えることと、横に広がる湖をワイドに眺めることができるからです。
2回目・3回目の北海道ツーリングでも何度も摩周湖を訪れましたが、ほとんど第三展望台に行っていました。裏の事情として、第一展望台の駐車場が有料だったこともありますが・・・。
さて、初めての摩周湖訪問の日の宿は、摩周湖から弟子屈方面に下った途中の牧場地にある、摩周YH。
8月の下旬でしたが、結構な宿泊客がいました。
東京からの女子大生グループなんかもいて、YHにしてはやや華やかな宿でしたね。
その摩周YHでは、毎朝、摩周湖から日の出を眺めようツアー、があっていました。
ツアーと言っても、第一展望台まで歩いていきましょう、というものです。
朝、4:00頃出発です。
もちろん、私も参加しました。
全部で20~30人ほどが連なって、1時間半か2時間近く、道を登っていきました。
道そのものは舗装路ですので歩くことは容易ですが、暗闇の中、淡々と歩きましたね。
そうやって登頂した摩周湖の第一展望台。
霧、でした。
湖面は見えず、お天道様も望めず、がっかりです。
帰り道を歩いているうち、なぜか足首が痛くなったりしまして、あまりいい記憶はありませんが、それもまたよい思い出と言えばよい思い出・・・なのかな?。
ひとまず、今回はこのへんで。
前回は、初めての摩周湖の眺望まででした。
この時、私が行ったのは第三展望台。大きな駐車場がある第一展望台に比べると、ひなびた展望台です。
しかし、眺めという点では、第三展望台の方が上と思います。それは、湖中央に浮かぶ小島・カムイッシュ島がより間近に見えることと、横に広がる湖をワイドに眺めることができるからです。
2回目・3回目の北海道ツーリングでも何度も摩周湖を訪れましたが、ほとんど第三展望台に行っていました。裏の事情として、第一展望台の駐車場が有料だったこともありますが・・・。
さて、初めての摩周湖訪問の日の宿は、摩周湖から弟子屈方面に下った途中の牧場地にある、摩周YH。
8月の下旬でしたが、結構な宿泊客がいました。
東京からの女子大生グループなんかもいて、YHにしてはやや華やかな宿でしたね。
その摩周YHでは、毎朝、摩周湖から日の出を眺めようツアー、があっていました。
ツアーと言っても、第一展望台まで歩いていきましょう、というものです。
朝、4:00頃出発です。
もちろん、私も参加しました。
全部で20~30人ほどが連なって、1時間半か2時間近く、道を登っていきました。
道そのものは舗装路ですので歩くことは容易ですが、暗闇の中、淡々と歩きましたね。
そうやって登頂した摩周湖の第一展望台。
霧、でした。
湖面は見えず、お天道様も望めず、がっかりです。
帰り道を歩いているうち、なぜか足首が痛くなったりしまして、あまりいい記憶はありませんが、それもまたよい思い出と言えばよい思い出・・・なのかな?。
ひとまず、今回はこのへんで。
2008年09月15日
のんびりの休日
今日は久しぶりにゆっくり過ごした休日となりました。
先月来、休みの日も自宅で数時間は仕事することが多かったのですが、今日は朝ものんびり起き、午後は家族でトランプをしたり、ビデオを観て笑ったりという一日。
リフレッシュして、休み明けの仕事に臨むことができそうです。
先月来、休みの日も自宅で数時間は仕事することが多かったのですが、今日は朝ものんびり起き、午後は家族でトランプをしたり、ビデオを観て笑ったりという一日。
リフレッシュして、休み明けの仕事に臨むことができそうです。
2008年09月14日
観戦、トップリーグ

ナイトゲームの熱い戦い。応援にも力が入ります。
試合の結果は・・・ちょっと残念でしたが、試合後には花火の打ち上げ。なかなか見事でした。
次戦は勝利を期待してますぜ。
Posted by マンボウくん at
23:43
│Comments(2)
2008年09月13日
少々酔って候
久しぶりに父親と飲みました。
後期高齢者世代に当たる父ですが、幸い、まだ健康に過ごしています。
この歳にしては珍しいかもしれませんが、パソコンも普通に駆使し、メールを打ったり、文書を書いたりもしているようです。
昔に比べれば頭は薄くなり、好々爺という風情も出てきました。
まだまだ元気でいてほしいと願うこの頃です。
後期高齢者世代に当たる父ですが、幸い、まだ健康に過ごしています。
この歳にしては珍しいかもしれませんが、パソコンも普通に駆使し、メールを打ったり、文書を書いたりもしているようです。
昔に比べれば頭は薄くなり、好々爺という風情も出てきました。
まだまだ元気でいてほしいと願うこの頃です。
2008年09月12日
遅くなりました・・・。
今日は何かと忙しい一日で、只今ようやく帰り支度に入るところです。
もちろん、夕食もまだなのですが、空腹はあまり感じません。
帰りが遅いと、my 奥さんの片付けも遅くなるので、悪いなぁとは思います。
ともあれ、早く帰って晩御飯を食べます。
もちろん、夕食もまだなのですが、空腹はあまり感じません。
帰りが遅いと、my 奥さんの片付けも遅くなるので、悪いなぁとは思います。
ともあれ、早く帰って晩御飯を食べます。
2008年09月11日
大相撲問題
大相撲の大麻問題。
相撲協会の対応は手際が悪かったとは思いますが、大麻所持容疑がかかった元若ノ鵬は、当時は日本の民法に照らせば未成年。
相撲協会が下した処分は、解雇。
もちろん、元若ノ鵬の認識の甘さはありますが、その後、彼の謝罪会見等の報道を見ると、若い人の芽を完全に摘むのもどうかなという思いが湧いてきました。
過去にも、芸能界で大麻所持で刑事罰を受けた人たちがいますが、一時謹慎していた期間もあったものの、彼らは現在も活動を続けています。
また、ドーピング違反の選手も、一定の出場禁止期間の後は競技に復帰できます。もっとも、ドーピング自体は違法行為ではありませんから、重みが違うとも言えますが。
ともあれ、違法行為に対する償いは行うとして、解雇されたり一旦廃業すると復帰できない、という相撲協会の規定は、固陋で柔軟性に欠けるようにも思います。
角界にも再チャレンジの途があってもよいのではないかな、考えるこの頃です。
相撲協会の対応は手際が悪かったとは思いますが、大麻所持容疑がかかった元若ノ鵬は、当時は日本の民法に照らせば未成年。
相撲協会が下した処分は、解雇。
もちろん、元若ノ鵬の認識の甘さはありますが、その後、彼の謝罪会見等の報道を見ると、若い人の芽を完全に摘むのもどうかなという思いが湧いてきました。
過去にも、芸能界で大麻所持で刑事罰を受けた人たちがいますが、一時謹慎していた期間もあったものの、彼らは現在も活動を続けています。
また、ドーピング違反の選手も、一定の出場禁止期間の後は競技に復帰できます。もっとも、ドーピング自体は違法行為ではありませんから、重みが違うとも言えますが。
ともあれ、違法行為に対する償いは行うとして、解雇されたり一旦廃業すると復帰できない、という相撲協会の規定は、固陋で柔軟性に欠けるようにも思います。
角界にも再チャレンジの途があってもよいのではないかな、考えるこの頃です。