2008年11月01日
北海道ツーリングの思い出(13)・納沙布岬
昨夜は、記事を書いて、いざUP、と確認ボタンを押したら・・・「アクセス集中」でout。
せっかく書いたのに、消えてしまいました。
そこで、記憶を頼りに、書き直しです。
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久しぶりに北海道ツーリングの思い出話、です。
前回は、知床半島のオホーツク海側の港、ウトロ港でのアイヌ彫りのお守りを購入したところまででした。
さて、連泊した岩尾別のユースホステルを発ち、知床横断道路で知床峠を越え、羅臼側に降りました。
8月の下旬という季節でしたが、気温は結構低く、トレーナー地のシャツにライダージャケットを着ていましたが、さらにレインスーツを着込んで走っていた記憶があります。
国後島を眺めながら、南下します。
途中、岩尾別のユースホステルから、朝食代わりにいただいたおにぎりをぱくつきました。
そのあと、向かうのは、納沙布岬です。
根室半島の北岸沿いの道を走り、岬に到着。
岬からは、ちょっと霞がかかっていたものの、歯舞諸島が見えます。併せて、ソ連(当時)の巡視船も。
これほど近いのに、ソ連の治下にある北方四島。日露間で平和条約が締結されたのち、返還されることになってはいますが、まだ道のりは遠そうです。
空は晴れわたっていたものの、頬を打つ風が少し冷たく感じられた納沙布岬に立ち、ちょっと複雑な思いも浮かんだ私でした。(一応、歴史学専攻だったもので)
今回はこのへんで。
せっかく書いたのに、消えてしまいました。
そこで、記憶を頼りに、書き直しです。
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久しぶりに北海道ツーリングの思い出話、です。
前回は、知床半島のオホーツク海側の港、ウトロ港でのアイヌ彫りのお守りを購入したところまででした。
さて、連泊した岩尾別のユースホステルを発ち、知床横断道路で知床峠を越え、羅臼側に降りました。
8月の下旬という季節でしたが、気温は結構低く、トレーナー地のシャツにライダージャケットを着ていましたが、さらにレインスーツを着込んで走っていた記憶があります。
国後島を眺めながら、南下します。
途中、岩尾別のユースホステルから、朝食代わりにいただいたおにぎりをぱくつきました。
そのあと、向かうのは、納沙布岬です。
根室半島の北岸沿いの道を走り、岬に到着。
岬からは、ちょっと霞がかかっていたものの、歯舞諸島が見えます。併せて、ソ連(当時)の巡視船も。
これほど近いのに、ソ連の治下にある北方四島。日露間で平和条約が締結されたのち、返還されることになってはいますが、まだ道のりは遠そうです。
空は晴れわたっていたものの、頬を打つ風が少し冷たく感じられた納沙布岬に立ち、ちょっと複雑な思いも浮かんだ私でした。(一応、歴史学専攻だったもので)
今回はこのへんで。
2008年10月06日
北海道ツーリングの思い出(12)・知床その3
また、およそ1週間ぶりの北海道ツーリングの話ですが、今回は、前回の話で知床・ウトロ港の土産物屋で買った、アイヌのお守りを紹介します。

鏃型のお守りの片面、男性の顔が彫られています。
もう一方の面は、

女性の顔です。
様々な彫りのそれぞれに、「食べるに困らないように」「お金に困らないように」などなどの意味が込められているそうですが、細かいことはちょっと忘れてしまいました。
さて、そのお守りの効果は・・・・・・
しばらく引き出しの奥にしまいこんだままでしたが、身につけるようにしようかな。
鏃型のお守りの片面、男性の顔が彫られています。
もう一方の面は、
女性の顔です。
様々な彫りのそれぞれに、「食べるに困らないように」「お金に困らないように」などなどの意味が込められているそうですが、細かいことはちょっと忘れてしまいました。
さて、そのお守りの効果は・・・・・・
しばらく引き出しの奥にしまいこんだままでしたが、身につけるようにしようかな。
2008年09月30日
北海道ツーリングの思い出(11)・知床その2
ほぼ1週間ぶりの北海道ツーリングの話、その11です。
今回は、知床半島西岸を海上からめぐる漁船での遊覧の話です。
岩尾別YHからバスに乗って、漁船が係留されているウトロ港へ。
天候はどんよりとした小雨模様でした。
乗船客は10数名くらいでしたでしょうか。そんなに大きな船ではありません。
港を出発して、船長が操舵しながら観光ポイントを説明してくれます。
有名なカムイワッカの滝につながる滝(だったかな?)や、その他にも川や滝がいくつも。
手付かずの自然の世界です。
途中、オジロワシにも遭遇しました。
フェリー型の遊覧船では行けないという、知床半島の先端の漁業基地の間近にも行きました。
この漁業基地は夏場だけ使われるそうで、陸路でたどり着くには、海岸沿いの道なき道を、確か二泊三日ほどもかかるのではなかったでしょうか。
そんな遊覧航行の帰り。
船長は釣竿を乗客に渡して、釣りを指南。
ちょっと船酔い気味で気分が悪かった私も、無理やり釣竿を握らせられることに。
仕方なく釣り糸を垂れていましたが、アタリもなく、中途半端にしていると、「そんなんじゃダメだよ」と船長。
放っておいてほしかったですけど・・・・・・。まぁ、船長としては乗客に釣果を上げて帰ってもらいたかったのかもしれません。
そんなこんなで港に戻り、下船したわけですが、YH方面に行くバスの時刻までは3時間以上もあります。
港には、数軒の土産物屋があるだけ。
仕方なく、アイヌ彫りのお店に入ると、30過ぎの店主が歯ブラシをくわえながら出迎え。
あまり期待せずに土産の品々を物色する私。
店にはもう一人、若い店員がいて、その店員と少々雑談。
店員からアイヌ彫りの鏃型のお守りの説明を聞くうちに、その1つを手にしました。
刻まれた彫りひとつひとつに意味があるというそのお守り。なぜか気に入り、購入しました。
そのあとも店員と雑談を交わしているうちに、バスを待つ時間がすぐに過ぎました。
船には酔いましたが、なかなか満足した一日でした。
ちなみに、この日は北海道で唯一オートバイに乗らない一日でしたね。
続きはまた。
今回は、知床半島西岸を海上からめぐる漁船での遊覧の話です。
岩尾別YHからバスに乗って、漁船が係留されているウトロ港へ。
天候はどんよりとした小雨模様でした。
乗船客は10数名くらいでしたでしょうか。そんなに大きな船ではありません。
港を出発して、船長が操舵しながら観光ポイントを説明してくれます。
有名なカムイワッカの滝につながる滝(だったかな?)や、その他にも川や滝がいくつも。
手付かずの自然の世界です。
途中、オジロワシにも遭遇しました。
フェリー型の遊覧船では行けないという、知床半島の先端の漁業基地の間近にも行きました。
この漁業基地は夏場だけ使われるそうで、陸路でたどり着くには、海岸沿いの道なき道を、確か二泊三日ほどもかかるのではなかったでしょうか。
そんな遊覧航行の帰り。
船長は釣竿を乗客に渡して、釣りを指南。
ちょっと船酔い気味で気分が悪かった私も、無理やり釣竿を握らせられることに。
仕方なく釣り糸を垂れていましたが、アタリもなく、中途半端にしていると、「そんなんじゃダメだよ」と船長。
放っておいてほしかったですけど・・・・・・。まぁ、船長としては乗客に釣果を上げて帰ってもらいたかったのかもしれません。
そんなこんなで港に戻り、下船したわけですが、YH方面に行くバスの時刻までは3時間以上もあります。
港には、数軒の土産物屋があるだけ。
仕方なく、アイヌ彫りのお店に入ると、30過ぎの店主が歯ブラシをくわえながら出迎え。
あまり期待せずに土産の品々を物色する私。
店にはもう一人、若い店員がいて、その店員と少々雑談。
店員からアイヌ彫りの鏃型のお守りの説明を聞くうちに、その1つを手にしました。
刻まれた彫りひとつひとつに意味があるというそのお守り。なぜか気に入り、購入しました。
そのあとも店員と雑談を交わしているうちに、バスを待つ時間がすぐに過ぎました。
船には酔いましたが、なかなか満足した一日でした。
ちなみに、この日は北海道で唯一オートバイに乗らない一日でしたね。
続きはまた。
2008年09月26日
北海道ツーリングの思い出(10)・知床その1
ちょっと久しぶりの北海道ツーリングの話、その10です。
摩周湖YHから、向かうは知床半島。
弟子屈から小清水・斜里を経て、オホーツク海沿岸の道を走ります。
ちなみに、小清水から斜里にかけても、長い直線道があります。
左右に畑が広がる中のまっすぐな道。ちょっと穴場でしょうか。
海沿いの道を走り、ウトロに到着。知床半島西側の港町です。
この日はウトロは通過して、岩尾別の知床五湖へ行きました。
駐車場にバイクを停め、遊歩道を通って湖をまわりました。
静かな中に佇む湖。
屈斜路湖や摩周湖のような大きな湖とはまったく異なる趣の湖です。
遊歩道の周りは、クマザサが生い茂っていました。
他の観光客も結構いましたが、遊歩道の途中、前後に人がいなくなったときがあり、今クマザサの間からヒグマが出てきたらどうしようと、ちょっとビビりながら歩いたことを覚えています。
幸い、クマと遭遇することなく、無事に知床五湖を後にし、この日は近くの岩尾別YHに宿泊しました。
この岩尾別YHでのミーティングで、漁船に乗って海上から知床半島を遊覧するツアーがあることを知り、即、申し込みました。
ということで、連泊することにして、翌日はウトロから漁船に乗船です。
続きはまたいずれ。
摩周湖YHから、向かうは知床半島。
弟子屈から小清水・斜里を経て、オホーツク海沿岸の道を走ります。
ちなみに、小清水から斜里にかけても、長い直線道があります。
左右に畑が広がる中のまっすぐな道。ちょっと穴場でしょうか。
海沿いの道を走り、ウトロに到着。知床半島西側の港町です。
この日はウトロは通過して、岩尾別の知床五湖へ行きました。
駐車場にバイクを停め、遊歩道を通って湖をまわりました。
静かな中に佇む湖。
屈斜路湖や摩周湖のような大きな湖とはまったく異なる趣の湖です。
遊歩道の周りは、クマザサが生い茂っていました。
他の観光客も結構いましたが、遊歩道の途中、前後に人がいなくなったときがあり、今クマザサの間からヒグマが出てきたらどうしようと、ちょっとビビりながら歩いたことを覚えています。
幸い、クマと遭遇することなく、無事に知床五湖を後にし、この日は近くの岩尾別YHに宿泊しました。
この岩尾別YHでのミーティングで、漁船に乗って海上から知床半島を遊覧するツアーがあることを知り、即、申し込みました。
ということで、連泊することにして、翌日はウトロから漁船に乗船です。
続きはまたいずれ。
2008年09月17日
北海道ツーリングの思い出(10)・開陽台
昨日に続き、北海道ツーリングの話、その10ですね。
8月の下旬に、学生時代の同じ時期に出かけた北海道ソロツーリングのことをふと思い出し、そのことを話のタネとして投稿していますが、何せおよそ20年前のこと。記憶もあやふやなところが多々あります。
摩周YHに宿泊した翌日のことも、ちょっと記憶が不確か。
連泊して近場をバイクで回ったか、それとも次の目的地にすぐに向かったか、はっきり覚えていないのです。
摩周YHに連泊していたとすると、早朝、摩周湖の展望台まで徒歩で往復したその日、多分、開陽台に行ったと思います。
開陽台には間違いなく行ってはいるのですが、この日だったか、それよりもあとだったか、はっきりしません。
ともあれ、本日は開陽台の話。
開陽台といえば、地平線が見える丘、として当時から有名。
それと、開陽台に至る途中の、長く続く直線路も有名。
アップダウンがあり、遠くまで一直線の道を見ることができるのです。私も愛車を停めて記念撮影しました。
開陽台からの眺望。
一部を除いて、周囲に地平線が広がります。天気もよく、根釧台地方面から北方領土方面まで眺めたのを覚えています。
ただ、確かに広く雄大な景色ではありますが、個人的には美幌峠からの眺望の方が好きです。
そのせいか、開陽台からの眺めそのものは、いまひとつはっきりとは思い出せないのです。漠としたイメージは残っているのですけれど。
あと、開陽台では、野宿するライダーのテントが目立ちましたね。ライダーの間では“憧れの地”としても知られていましたから。
まぁ、私もミーハーの一人として開陽台を訪れたクチです。とりあえず、押さえておかなくては、と。
という、開陽台の思い出でした。
次は、知床方面に向かいます。
8月の下旬に、学生時代の同じ時期に出かけた北海道ソロツーリングのことをふと思い出し、そのことを話のタネとして投稿していますが、何せおよそ20年前のこと。記憶もあやふやなところが多々あります。
摩周YHに宿泊した翌日のことも、ちょっと記憶が不確か。
連泊して近場をバイクで回ったか、それとも次の目的地にすぐに向かったか、はっきり覚えていないのです。
摩周YHに連泊していたとすると、早朝、摩周湖の展望台まで徒歩で往復したその日、多分、開陽台に行ったと思います。
開陽台には間違いなく行ってはいるのですが、この日だったか、それよりもあとだったか、はっきりしません。
ともあれ、本日は開陽台の話。
開陽台といえば、地平線が見える丘、として当時から有名。
それと、開陽台に至る途中の、長く続く直線路も有名。
アップダウンがあり、遠くまで一直線の道を見ることができるのです。私も愛車を停めて記念撮影しました。
開陽台からの眺望。
一部を除いて、周囲に地平線が広がります。天気もよく、根釧台地方面から北方領土方面まで眺めたのを覚えています。
ただ、確かに広く雄大な景色ではありますが、個人的には美幌峠からの眺望の方が好きです。
そのせいか、開陽台からの眺めそのものは、いまひとつはっきりとは思い出せないのです。漠としたイメージは残っているのですけれど。
あと、開陽台では、野宿するライダーのテントが目立ちましたね。ライダーの間では“憧れの地”としても知られていましたから。
まぁ、私もミーハーの一人として開陽台を訪れたクチです。とりあえず、押さえておかなくては、と。
という、開陽台の思い出でした。
次は、知床方面に向かいます。
2008年09月16日
北海道ツーリングの思い出(9)・摩周湖その2
ちょっと間があきましたが、北海道ツーリングの話の続き、その9くらいですね。
前回は、初めての摩周湖の眺望まででした。
この時、私が行ったのは第三展望台。大きな駐車場がある第一展望台に比べると、ひなびた展望台です。
しかし、眺めという点では、第三展望台の方が上と思います。それは、湖中央に浮かぶ小島・カムイッシュ島がより間近に見えることと、横に広がる湖をワイドに眺めることができるからです。
2回目・3回目の北海道ツーリングでも何度も摩周湖を訪れましたが、ほとんど第三展望台に行っていました。裏の事情として、第一展望台の駐車場が有料だったこともありますが・・・。
さて、初めての摩周湖訪問の日の宿は、摩周湖から弟子屈方面に下った途中の牧場地にある、摩周YH。
8月の下旬でしたが、結構な宿泊客がいました。
東京からの女子大生グループなんかもいて、YHにしてはやや華やかな宿でしたね。
その摩周YHでは、毎朝、摩周湖から日の出を眺めようツアー、があっていました。
ツアーと言っても、第一展望台まで歩いていきましょう、というものです。
朝、4:00頃出発です。
もちろん、私も参加しました。
全部で20~30人ほどが連なって、1時間半か2時間近く、道を登っていきました。
道そのものは舗装路ですので歩くことは容易ですが、暗闇の中、淡々と歩きましたね。
そうやって登頂した摩周湖の第一展望台。
霧、でした。
湖面は見えず、お天道様も望めず、がっかりです。
帰り道を歩いているうち、なぜか足首が痛くなったりしまして、あまりいい記憶はありませんが、それもまたよい思い出と言えばよい思い出・・・なのかな?。
ひとまず、今回はこのへんで。
前回は、初めての摩周湖の眺望まででした。
この時、私が行ったのは第三展望台。大きな駐車場がある第一展望台に比べると、ひなびた展望台です。
しかし、眺めという点では、第三展望台の方が上と思います。それは、湖中央に浮かぶ小島・カムイッシュ島がより間近に見えることと、横に広がる湖をワイドに眺めることができるからです。
2回目・3回目の北海道ツーリングでも何度も摩周湖を訪れましたが、ほとんど第三展望台に行っていました。裏の事情として、第一展望台の駐車場が有料だったこともありますが・・・。
さて、初めての摩周湖訪問の日の宿は、摩周湖から弟子屈方面に下った途中の牧場地にある、摩周YH。
8月の下旬でしたが、結構な宿泊客がいました。
東京からの女子大生グループなんかもいて、YHにしてはやや華やかな宿でしたね。
その摩周YHでは、毎朝、摩周湖から日の出を眺めようツアー、があっていました。
ツアーと言っても、第一展望台まで歩いていきましょう、というものです。
朝、4:00頃出発です。
もちろん、私も参加しました。
全部で20~30人ほどが連なって、1時間半か2時間近く、道を登っていきました。
道そのものは舗装路ですので歩くことは容易ですが、暗闇の中、淡々と歩きましたね。
そうやって登頂した摩周湖の第一展望台。
霧、でした。
湖面は見えず、お天道様も望めず、がっかりです。
帰り道を歩いているうち、なぜか足首が痛くなったりしまして、あまりいい記憶はありませんが、それもまたよい思い出と言えばよい思い出・・・なのかな?。
ひとまず、今回はこのへんで。
2008年09月10日
北海道ツーリングの思い出(8)・摩周湖
北海道ツーリングの続き、その8です。
旅のハイライトの1つと位置づけていた摩周湖。
霧で有名です。
初めて摩周湖を訪れて、霧がなく湖面を見ることができれば、婚期が遅れるとの俗説もあるほど。
特に夏場は霧の日が多いようです。
展望台めざして、バイクを走らせます。
規模の大きな第一展望台を通り過ぎ、第三展望台に向かいます。
駐車場にバイクを停め、展望台まで歩くと、やがて見えてきました。
霧はなく、蒼い湖面がはっきりと見えました。
展望台の手すりに身を委ね、湖を眺めます。
かつては世界一の透明度を誇った湖水は、美しく輝いてもいました。
小一時間はうっとり見とれていたと思います。
摩周湖も、私の期待に十分応える自然の美しさを贈ってくれました。
旅のハイライトの1つと位置づけていた摩周湖。
霧で有名です。
初めて摩周湖を訪れて、霧がなく湖面を見ることができれば、婚期が遅れるとの俗説もあるほど。
特に夏場は霧の日が多いようです。
展望台めざして、バイクを走らせます。
規模の大きな第一展望台を通り過ぎ、第三展望台に向かいます。
駐車場にバイクを停め、展望台まで歩くと、やがて見えてきました。
霧はなく、蒼い湖面がはっきりと見えました。
展望台の手すりに身を委ね、湖を眺めます。
かつては世界一の透明度を誇った湖水は、美しく輝いてもいました。
小一時間はうっとり見とれていたと思います。
摩周湖も、私の期待に十分応える自然の美しさを贈ってくれました。
2008年09月08日
北海道ツーリングの思い出(7)・屈斜路湖の湯
北海道ツーリングの話の続き、その7です。
前回は、美幌峠からの屈斜路湖の眺めを述べたところまででした。
その美幌峠を、屈斜路湖目指して下っていきます。
この時ではありませんが、後年、同じくこの道を下っていたとき、エゾシカと遭遇しました。私は会ったことはありませんが、ヒグマが出没する地域とも聞いています。
さて、屈斜路湖の湖畔に着くと、湖岸まで歩いて砂浜を手で掘りました。
押し寄せる湖の水は、もちろん冷たいのですが、砂を掘って出てくるのは、温かい湯。
屈斜路湖のほとりは温泉地で、砂地のところからはお湯が湧き出ているんですが、ちょっと不思議な感覚でしたね。
屈斜路湖畔でのしばしの休憩ののち、次の目的地に向かってバイクのキーを捻ります。
向かう先は、霧で有名な神秘の湖、摩周湖です。
続きはまた後日。
前回は、美幌峠からの屈斜路湖の眺めを述べたところまででした。
その美幌峠を、屈斜路湖目指して下っていきます。
この時ではありませんが、後年、同じくこの道を下っていたとき、エゾシカと遭遇しました。私は会ったことはありませんが、ヒグマが出没する地域とも聞いています。
さて、屈斜路湖の湖畔に着くと、湖岸まで歩いて砂浜を手で掘りました。
押し寄せる湖の水は、もちろん冷たいのですが、砂を掘って出てくるのは、温かい湯。
屈斜路湖のほとりは温泉地で、砂地のところからはお湯が湧き出ているんですが、ちょっと不思議な感覚でしたね。
屈斜路湖畔でのしばしの休憩ののち、次の目的地に向かってバイクのキーを捻ります。
向かう先は、霧で有名な神秘の湖、摩周湖です。
続きはまた後日。
2008年09月04日
北海道ツーリングの思い出(6)・美幌峠
学生時代の北海道ツーリングの思い出話、その6です、ね。
さて、網走の民宿で相部屋となった会社員さんと別れを交わし、私は内陸方面へとバイクを走らせました。
網走湖を右手に眺めながら、まずは美幌町を目指します。
美幌町で分岐の道を確認し、国道243号へ。
ちなみに、当然ですがバイクに乗っていると、片手で地図を開く、なんてことはできません。
では、どうやって道を確認するか、と言いますと、予めコピーをとった地図をタンクバッグ(二輪車のタンクの上に乗せる専用のバッグです)のビニールポケットに挟み込み、走りながら時折下に目をやっていました。
ですが、コピーの範囲を過ぎてしまったり、込み入った道での分岐では、一度バイクを停めて、コピーを入れ替えたり地図を開いて道を確認します。
今では二輪車用のカーナビもあるようですね。便利だろうなぁ。
閑話休題。話を戻します。
国道243号を走る私は、とても期待に胸をふくらませていました。
というのも、これから向かう先は、この北海道ツーリングでも、メインイベントと考えていた地域だったからです。
直線に近いけれど、ゆるやかな曲線もまとう国道243号は、ゆったりとしてとても心地よい道。
途中、何台か地元ナンバーの二輪車に先を越されますが、飛ばしすぎることなく、静かに高鳴る鼓動を味わいながら、道を往きます。
牧場地や畑を抜け、少しずつ現れる傾斜。
勾配はゆるやかで、少しスロットルを回して、愛車はスムーズに駆けていきます。
低木の野が広がる中、大きなカーブを越えて、峠に到着。
美幌峠です。
峠の先、眼下に広がるのは、屈斜路湖を中心とする雄大な風景。
思いのほか大きな屈斜路湖に、息を呑みます。
事前の予備知識で、美幌町側から登って観る、美幌峠からの眺望の素晴らしさは仕入れていましたが、実際に目にするその景色は、期待を超越する素晴らしいものでした。
峠にバイクを停め、さらに上の展望所まで歩きます。
眼下に展開する一大パノラマ。
湖と、そのほぼ中央に浮かぶ中島。
さえぎるものなく目に映る屈斜路湖の風景は、北の大地たる北海道の雄大さを象徴する姿であったように思います。
後年、奥さんを連れて美幌峠に登ったことがありますが、残念ながら霧で視界が開けず、この景色を見せることができませんでした。
いつか、機会があれば、家族で再び訪れたい場所です。
さて、網走の民宿で相部屋となった会社員さんと別れを交わし、私は内陸方面へとバイクを走らせました。
網走湖を右手に眺めながら、まずは美幌町を目指します。
美幌町で分岐の道を確認し、国道243号へ。
ちなみに、当然ですがバイクに乗っていると、片手で地図を開く、なんてことはできません。
では、どうやって道を確認するか、と言いますと、予めコピーをとった地図をタンクバッグ(二輪車のタンクの上に乗せる専用のバッグです)のビニールポケットに挟み込み、走りながら時折下に目をやっていました。
ですが、コピーの範囲を過ぎてしまったり、込み入った道での分岐では、一度バイクを停めて、コピーを入れ替えたり地図を開いて道を確認します。
今では二輪車用のカーナビもあるようですね。便利だろうなぁ。
閑話休題。話を戻します。
国道243号を走る私は、とても期待に胸をふくらませていました。
というのも、これから向かう先は、この北海道ツーリングでも、メインイベントと考えていた地域だったからです。
直線に近いけれど、ゆるやかな曲線もまとう国道243号は、ゆったりとしてとても心地よい道。
途中、何台か地元ナンバーの二輪車に先を越されますが、飛ばしすぎることなく、静かに高鳴る鼓動を味わいながら、道を往きます。
牧場地や畑を抜け、少しずつ現れる傾斜。
勾配はゆるやかで、少しスロットルを回して、愛車はスムーズに駆けていきます。
低木の野が広がる中、大きなカーブを越えて、峠に到着。
美幌峠です。
峠の先、眼下に広がるのは、屈斜路湖を中心とする雄大な風景。
思いのほか大きな屈斜路湖に、息を呑みます。
事前の予備知識で、美幌町側から登って観る、美幌峠からの眺望の素晴らしさは仕入れていましたが、実際に目にするその景色は、期待を超越する素晴らしいものでした。
峠にバイクを停め、さらに上の展望所まで歩きます。
眼下に展開する一大パノラマ。
湖と、そのほぼ中央に浮かぶ中島。
さえぎるものなく目に映る屈斜路湖の風景は、北の大地たる北海道の雄大さを象徴する姿であったように思います。
後年、奥さんを連れて美幌峠に登ったことがありますが、残念ながら霧で視界が開けず、この景色を見せることができませんでした。
いつか、機会があれば、家族で再び訪れたい場所です。
2008年09月01日
北海道ツーリングの思い出(5)・宗谷岬~網走
学生時代の北海道ツーリングの話の続きです。
前回は稚内まででした。
稚内のYHを出発した朝、向かったのは北海道最北端の岬、宗谷岬。
稚内市内からおよそ40kmほどだったでしょうか。割合すぎに着きました。
岬には、三角錐のモニュメント(コレです)があり、確か、「♪宗谷のみさきぃ~」といった唄がエンドレスで流れていました。
樺太を望む北の海を眺めながら、しばし佇んだあと、岬をあとにし、日本最北のガソリンスタンドで記念の給油。ほとんど満タンだったので、あまり入らなかったのですけどね。
この日の目的地は、刑務所の名で知られる網走。
宗谷岬からオホーツクラインの別名がある国道238号を南下。左手にオホーツク海を眺めながら、300キロメートル以上の行程を走ります。
好天の空。穏やかな波が押し寄せる海。8月の下旬でしたが、浜辺で遊ぶ人たちの姿も見えました。
ドライブインの食堂で相席したライダーと話を交わし、同じく網走方面に向かうというので、しばらく2台連なって走りました。
網走の手前で、広大なサロマ湖が出迎えます。輝く水面が、目に浮かびますね。
その先の能取湖で、伴走の彼とは分かれ、網走市内に入りました。
この日は宿の予定を決めていなかったので、確か駅の観光案内所に行って、民宿を紹介してもらいました。
民宿で夕食を食べたあと、市内のコインランドリーで洗濯を済ませて戻ると、部屋には到着したばかりの方が相部屋で荷をほどいているところでした。
年上のライダーで、これから夕食に出るとのことで誘われ、近くの居酒屋へ。
エンジニアというその方。何を話したかはもう覚えていませんが、見ず知らずの方とこうして一緒に食事を取るのも、旅ならでは。
ほろ酔いで宿に戻り、就寝。
北海道、3日目でした。
前回は稚内まででした。
稚内のYHを出発した朝、向かったのは北海道最北端の岬、宗谷岬。
稚内市内からおよそ40kmほどだったでしょうか。割合すぎに着きました。
岬には、三角錐のモニュメント(コレです)があり、確か、「♪宗谷のみさきぃ~」といった唄がエンドレスで流れていました。
樺太を望む北の海を眺めながら、しばし佇んだあと、岬をあとにし、日本最北のガソリンスタンドで記念の給油。ほとんど満タンだったので、あまり入らなかったのですけどね。
この日の目的地は、刑務所の名で知られる網走。
宗谷岬からオホーツクラインの別名がある国道238号を南下。左手にオホーツク海を眺めながら、300キロメートル以上の行程を走ります。
好天の空。穏やかな波が押し寄せる海。8月の下旬でしたが、浜辺で遊ぶ人たちの姿も見えました。
ドライブインの食堂で相席したライダーと話を交わし、同じく網走方面に向かうというので、しばらく2台連なって走りました。
網走の手前で、広大なサロマ湖が出迎えます。輝く水面が、目に浮かびますね。
その先の能取湖で、伴走の彼とは分かれ、網走市内に入りました。
この日は宿の予定を決めていなかったので、確か駅の観光案内所に行って、民宿を紹介してもらいました。
民宿で夕食を食べたあと、市内のコインランドリーで洗濯を済ませて戻ると、部屋には到着したばかりの方が相部屋で荷をほどいているところでした。
年上のライダーで、これから夕食に出るとのことで誘われ、近くの居酒屋へ。
エンジニアというその方。何を話したかはもう覚えていませんが、見ず知らずの方とこうして一緒に食事を取るのも、旅ならでは。
ほろ酔いで宿に戻り、就寝。
北海道、3日目でした。
2008年08月29日
北海道ツーリングの思い出(4)・旭川~名寄~稚内
ふと思いついたばかりに、このところ北海道ツーリングの話になっています。
ちなみに、私が二輪車で北海道をツーリングしたのは、合計3回。
四輪車でも1回あります。
そのほか、普通の旅行として3回北海道に行ってます。
学生時代に行って以来、北海道が好きになりましたね。
最後に北海道を訪れたのは、もう随分と前。また、行きたいですね。
・ ・ ・ ・ ・
さて、少し話を進めておきます。
北海道上陸初日の宿を旭川に取ったあと、2日目はひたすら北に向かって走りました。
旭川から国道40号線を北上。途中、名寄市を通過。
名寄と言えば、昭和の名大関・名寄岩の故郷。
もちろん、私は名寄岩の現役の頃は知りませんが、相撲が大好きだった小学生か中学生の頃、その筋の本の中で目にした名寄岩の名は、なぜか強烈に記憶の一隅に残っていたのです。
ですから、名寄と言えば名寄岩なのです。
話がそれました。
名寄も通過し、車の通行量も少ない国道を、天塩川の流れとともに走ります。
ゆったりと蛇行する天塩川を何度かまたぎつつ、「悠久」なんて言葉も浮かびましたね。
車もほとんど通らない道を走るのは、快適ではあるのですが、変化には乏しい道。
ちょっと退屈ではあります。
それで私は、時折忍び寄る眠気を、メットの下で歌を歌うことで追いやっていました。
何を歌っていたかって?
それはもちろん、中島みゆきさんですよ!
メットの下で、思いっ切り、シャウトしていたかな(笑)。
やがて、左手方向に、サロベツ原野を挟んで、利尻島に浮かぶ利尻富士が現れます。
利尻島の中心にそびえるこの利尻山。
海と空との間にまたがる円錐形の美しい稜線。おぼろげに今もその姿が目に浮かびます。
この日の目的地は、稚内。
ちょっと迷いながらも稚内のユースホステルに投宿。
日暮れまでちょっと時間があったので、丘の上の公園をめざして再び愛車にまたがりました。
が、ここでアクシデント。
細く、勾配が急な坂のカーブで対向車との離合を待っていたときに、バランスを崩して転倒。
ケガはなかったものの、愛車を起こすのに一苦労。750ccでしたので、重量は200kg超。必死になります。
転倒で気分がブルーになってしまい、丘の上の公園には少し居ただけですぐにユースに戻ってしまいました。
これが北海道2日目の出来事。
先日、ユースホステルのホームページから稚内のユースホステルを探したら、入口付近を写した写真に見覚えがありました。
「そうそう、こんな感じだったよなぁ」と懐かしくなりました。たった一泊でしたが、その時はお世話になりました。
ちなみに、私が二輪車で北海道をツーリングしたのは、合計3回。
四輪車でも1回あります。
そのほか、普通の旅行として3回北海道に行ってます。
学生時代に行って以来、北海道が好きになりましたね。
最後に北海道を訪れたのは、もう随分と前。また、行きたいですね。
・ ・ ・ ・ ・
さて、少し話を進めておきます。
北海道上陸初日の宿を旭川に取ったあと、2日目はひたすら北に向かって走りました。
旭川から国道40号線を北上。途中、名寄市を通過。
名寄と言えば、昭和の名大関・名寄岩の故郷。
もちろん、私は名寄岩の現役の頃は知りませんが、相撲が大好きだった小学生か中学生の頃、その筋の本の中で目にした名寄岩の名は、なぜか強烈に記憶の一隅に残っていたのです。
ですから、名寄と言えば名寄岩なのです。
話がそれました。
名寄も通過し、車の通行量も少ない国道を、天塩川の流れとともに走ります。
ゆったりと蛇行する天塩川を何度かまたぎつつ、「悠久」なんて言葉も浮かびましたね。
車もほとんど通らない道を走るのは、快適ではあるのですが、変化には乏しい道。
ちょっと退屈ではあります。
それで私は、時折忍び寄る眠気を、メットの下で歌を歌うことで追いやっていました。
何を歌っていたかって?
それはもちろん、中島みゆきさんですよ!
メットの下で、思いっ切り、シャウトしていたかな(笑)。
やがて、左手方向に、サロベツ原野を挟んで、利尻島に浮かぶ利尻富士が現れます。
利尻島の中心にそびえるこの利尻山。
海と空との間にまたがる円錐形の美しい稜線。おぼろげに今もその姿が目に浮かびます。
この日の目的地は、稚内。
ちょっと迷いながらも稚内のユースホステルに投宿。
日暮れまでちょっと時間があったので、丘の上の公園をめざして再び愛車にまたがりました。
が、ここでアクシデント。
細く、勾配が急な坂のカーブで対向車との離合を待っていたときに、バランスを崩して転倒。
ケガはなかったものの、愛車を起こすのに一苦労。750ccでしたので、重量は200kg超。必死になります。
転倒で気分がブルーになってしまい、丘の上の公園には少し居ただけですぐにユースに戻ってしまいました。
これが北海道2日目の出来事。
先日、ユースホステルのホームページから稚内のユースホステルを探したら、入口付近を写した写真に見覚えがありました。
「そうそう、こんな感じだったよなぁ」と懐かしくなりました。たった一泊でしたが、その時はお世話になりました。

2008年08月28日
北海道ツーリングの思い出(3)・自宅~舞鶴フェリー埠頭
学生時代の北海道ツーリングの続きです。
最初に書いていませんでしたが、大学3年の夏、お盆近くまでアルバイトをして、旅行の資金を稼ぎました。
「北海道を走ってみたいなぁ」と漠然とした希望はもっていましたが、距離といい、旅費といい、学生の身分ではそうそう実現できる夢ではないと思っていました。
しかし、ある日、決めたのです。
「北海道に行くぞ!」と。
そこで夏休み前半をバイトに励み、同時にツーリングの準備を進めていきました。
ツーリングの予定は約2週間。
野宿もするかも、とシュラフや安価なアルミ食器を買い、大きなバッグも買いました。
あとは地図を見て、大まかに道程を考えていました。
出発の朝。
興奮からか、眠りは浅いものでした。
あだ明けやらぬ午前4時過ぎ、自宅を発ちました。
確か、山口までは下の道を走り、その後、中国自動車道に入りました。
高速は兵庫県・滝野社インターまで、およそ500km。
残暑の厳しい中、単調な道をひたすら走りました。途中、どこかのSAで昼食をとりましたが、暑さによる体力消耗のためか、あまり食べられなかったのを覚えています。
インターを降りたのは夕方4時くらいでしょうか。そこからさらに100キロメートルほど、峠を越えて若狭湾の舞鶴港を目指します。
港に着いたのは、何とかフェリーの出発に間に合う午後7時過ぎ。
あたふたと乗船手続きを済ませたあと、鉄のスロープでの転倒に注意しながら船内にマシンを乗せ、重い荷物を降ろして船室へ。
2等寝台の狭いベッドに荷物を押し込み、ようやく横になりました。
この日は走行は700km以上。
1日における走行距離としては、1番か2番ではないでしょうか(四輪含む)。
とにかく、暑くて、きつかったなぁ。走りながら戻しそうになりましたからね。
暑く、長い一日。
これが、北海道ツーリングのホントの初日の話です。
最初に書いていませんでしたが、大学3年の夏、お盆近くまでアルバイトをして、旅行の資金を稼ぎました。
「北海道を走ってみたいなぁ」と漠然とした希望はもっていましたが、距離といい、旅費といい、学生の身分ではそうそう実現できる夢ではないと思っていました。
しかし、ある日、決めたのです。
「北海道に行くぞ!」と。
そこで夏休み前半をバイトに励み、同時にツーリングの準備を進めていきました。
ツーリングの予定は約2週間。
野宿もするかも、とシュラフや安価なアルミ食器を買い、大きなバッグも買いました。
あとは地図を見て、大まかに道程を考えていました。
出発の朝。
興奮からか、眠りは浅いものでした。
あだ明けやらぬ午前4時過ぎ、自宅を発ちました。
確か、山口までは下の道を走り、その後、中国自動車道に入りました。
高速は兵庫県・滝野社インターまで、およそ500km。
残暑の厳しい中、単調な道をひたすら走りました。途中、どこかのSAで昼食をとりましたが、暑さによる体力消耗のためか、あまり食べられなかったのを覚えています。
インターを降りたのは夕方4時くらいでしょうか。そこからさらに100キロメートルほど、峠を越えて若狭湾の舞鶴港を目指します。
港に着いたのは、何とかフェリーの出発に間に合う午後7時過ぎ。
あたふたと乗船手続きを済ませたあと、鉄のスロープでの転倒に注意しながら船内にマシンを乗せ、重い荷物を降ろして船室へ。
2等寝台の狭いベッドに荷物を押し込み、ようやく横になりました。
この日は走行は700km以上。
1日における走行距離としては、1番か2番ではないでしょうか(四輪含む)。
とにかく、暑くて、きつかったなぁ。走りながら戻しそうになりましたからね。
暑く、長い一日。
これが、北海道ツーリングのホントの初日の話です。
2008年08月27日
北海道ツーリングの思い出(2)・富良野
昨日書いた、学生時代の北海道ツーリングの記憶の糸を手繰っていくと、北海道上陸初日、旭川に到着する前に滝川から東に向かって富良野を訪れていたことを思い出しました。
富良野といえばラベンダー畑。
8月下旬といえばもう時期はずれでしたが、富良野駅近くのラベンダー畑を訪れると、「北の国から」の例のメロディがエンドレスで流れていました。
丘陵を登り、風景を記念撮影。心地よい風が流れていたように思います。
富良野の街をしばらく走ったあと、旭川に向かいました。
その後、豪雨に見舞われたのは、昨日書いた通りです。
旭川のユースホステルに投宿すると、自転車でやってきたという工業高専生と話し込みました。
何を話したかはもう忘却の彼方ですが、彼とはその後、再会したこともあって、印象に残っています。
翌日、旭川を発つと、最北の街、稚内を目指しました。
続きはまた。
富良野といえばラベンダー畑。
8月下旬といえばもう時期はずれでしたが、富良野駅近くのラベンダー畑を訪れると、「北の国から」の例のメロディがエンドレスで流れていました。
丘陵を登り、風景を記念撮影。心地よい風が流れていたように思います。
富良野の街をしばらく走ったあと、旭川に向かいました。
その後、豪雨に見舞われたのは、昨日書いた通りです。
旭川のユースホステルに投宿すると、自転車でやってきたという工業高専生と話し込みました。
何を話したかはもう忘却の彼方ですが、彼とはその後、再会したこともあって、印象に残っています。
翌日、旭川を発つと、最北の街、稚内を目指しました。
続きはまた。
2008年08月26日
北海道ツーリングの思い出(1)・北海道上陸初日
学生の頃、ちょうど今くらいの時期に北海道に一人旅に出ました。
オートバイで京都・舞鶴港まで走り、フェリーで小樽港に入りました。
まだ明けやらぬ早朝、憧れの北の大地に上陸し、胸の高まりを覚えながら初めての道を走りました。
とりあえず札幌に向かい、旧北海道庁かどこかの古いレンガ造りの建物の前で小休止しました。
通勤ラッシュの時間の前で、車は少なかったのですが、スパイクタイヤの影響か、当時の道路はわだちが深く、市内はちょっと走りにくかったように覚えています。
そこから旭川市に向けて北上。
北海道独特の、積雪時の車線の位置を示す逆J字の矢印ポールに感激しながら、快適にオートバイを走らせました。
途中、渓谷に立ち寄ったあと、旭川市内へ。
その日の宿をユースホステルに決めるも、豪雨に迎えられ、しばし雨宿りしましたが、止む気配なく、「これは事故るかも」と怖がりながら、雨の中、YHに向かいました。
幸い、事故を起こすこともなく到着し、興奮の北海道1日目を終えました。
ちなみに、その日の夜は、近くの食堂で旭川ラーメンで食事をとりました。
思いつきでしたが、北海道ツーリングの話、しばらく続けようかな。
オートバイで京都・舞鶴港まで走り、フェリーで小樽港に入りました。
まだ明けやらぬ早朝、憧れの北の大地に上陸し、胸の高まりを覚えながら初めての道を走りました。
とりあえず札幌に向かい、旧北海道庁かどこかの古いレンガ造りの建物の前で小休止しました。
通勤ラッシュの時間の前で、車は少なかったのですが、スパイクタイヤの影響か、当時の道路はわだちが深く、市内はちょっと走りにくかったように覚えています。
そこから旭川市に向けて北上。
北海道独特の、積雪時の車線の位置を示す逆J字の矢印ポールに感激しながら、快適にオートバイを走らせました。
途中、渓谷に立ち寄ったあと、旭川市内へ。
その日の宿をユースホステルに決めるも、豪雨に迎えられ、しばし雨宿りしましたが、止む気配なく、「これは事故るかも」と怖がりながら、雨の中、YHに向かいました。
幸い、事故を起こすこともなく到着し、興奮の北海道1日目を終えました。
ちなみに、その日の夜は、近くの食堂で旭川ラーメンで食事をとりました。
思いつきでしたが、北海道ツーリングの話、しばらく続けようかな。