2007年09月20日
自宅の棚も溢れています。
本日の書き下ろしの前に、当社HPの8月28日の日記の分を転載させてください。
それから、書き下ろしを載せます。
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以下は当社HPの8月28日の日記からの転載です。
ここにブログを開設する前の日の日記ですね。
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本日はよいネタが浮かびませんので、困ったときのシリーズもの、ということで、久々の愛読書コーナー第3弾です。
さて、前回は大学の前半頃までだったと思いますが、その後、就職する前の約1年間、小生の人生の中で最も読書に耽溺する時代を迎えます。
きっかけとなった1冊は、芥川賞作家である宮本輝氏の『錦繍』。内容は省略しますが、往復書簡の形で綴られる文体が、繊細な情感を描き出し、引き込まれるように読んだことを覚えています。
実はそれまで、現代作家の小説を読むことはほとんどありませんでした。特に理由があったわけではありませんが、当時の小生、小説と言うと、漱石だの芥川だの、ある程度評価の定まった、教科書にもその名が出てくるような作家のものを読むべし、といった固定観念に縛られていたような気もします。
そこでたまたま読んだ『錦繍』で、カルチャーショックを受けたのです。「現代作家も読んでみよう」というスイッチが入り、堰を切ったように、書店に行ってはいろんな作家の作品を手にするようになりました。
それまで現代作家さんはあまり知らなかったので、毎月の文庫の新刊を何冊か買い、面白いと感じた作家の作品をまた探して読む、というパターンでした。
書棚にどんどん本がたまっていき、それを作家ごとに整理するのも楽しんでいましたね。当時、冊数が多かったのは、まず宮本輝氏。宮本氏の作品は『青が散る』『避暑地の猫』など、当時文庫化されていたものはほとんど読了しました。宮本輝さんには“ハマった”と言えるでしょうね。その他、連城三紀彦氏・渡辺淳一氏・佐藤正午氏なども愛読しました。
ちなみに、佐藤正午さんに関しては、それから10年ばかりご無沙汰していたあと、世紀が代わった頃にまた数冊続けて読みました。以前のような荒々しさはありませんでしたが、奥行きのある文章に、(僭越ですが)作家としての成長を感じました。中でも“岐路”がテーマとなる『ジャンプ』は、(語彙が貧弱で申し訳ありませんが)非常に秀逸な出来である、と個人的に同氏の代表作に推させていただいております。
この他にも、山本周五郎氏・池波正太郎氏といった、時代小説にもはまりました。両氏の本は、小生の文庫コレクションでも、その数において1位と2位を競うほどです。一緒に取り上げると混同されてしまいそうですが、両氏の作風は全く別です。池波正太郎さんは『鬼平』シリーズや『剣客商売』シリーズで知られるように、エンタテインメント性の強い作風で、純粋に“面白く”読んでいくことができますね。
一方、同じ時代物でも山本周五郎さんの作品は、武家物にして市井物にしても、人の情が表に出る作風と言えるのではないでしょうか。また、緻密な考証で歴史解釈にも一石を投じた『樅の木は残った』を読んだ際は、「考察することに限界はないんだ」と感嘆したというか、白旗を揚げましたね。こりゃあ、すごいわ、と。
と、そんな具合で、特定作家の作品も読み集めつつ、できるだけ幅広く本を手にしたあの1年。就職で地元を離れるまでにおよそ130冊以上読了しました。読了数ならばもっと上をいく方も多数いらっしゃると思いますが、当時の小生としては、時間があれば本を読んでいたという記憶があります。おそらく、中学生以後のそれまでに読んだ冊数より、この1年間で読んだ数の方がずっと多かったのではないでしょうか。言わば小生の読書狂時代でした。
今振り返っても、あの頃はホントよく読んだよなぁ、と感慨深い思いで胸が満ちます。就職後はさすがに読書量は落ちましたが、あの頃の経験があるせいか、趣味欄には今でも、“読書”と臆することなく書くことができます。昔取った杵柄、ってやつかもしれませんけど。
ということで、本日はおしまいです。
あまりにフツーな内容で、オチがないのが、小生としてはおちっがない、おちっかない、おちつかない、落ち着かない、気分です・・・・・・。
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アイウィッシュアカデミーのHPの
“マンボウくんのひとりごと”には、当ブログ掲載前の7月からの
日記があります。
お時間あればお立ち寄りください。
それから、書き下ろしを載せます。
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以下は当社HPの8月28日の日記からの転載です。
ここにブログを開設する前の日の日記ですね。
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本日はよいネタが浮かびませんので、困ったときのシリーズもの、ということで、久々の愛読書コーナー第3弾です。
さて、前回は大学の前半頃までだったと思いますが、その後、就職する前の約1年間、小生の人生の中で最も読書に耽溺する時代を迎えます。
きっかけとなった1冊は、芥川賞作家である宮本輝氏の『錦繍』。内容は省略しますが、往復書簡の形で綴られる文体が、繊細な情感を描き出し、引き込まれるように読んだことを覚えています。
実はそれまで、現代作家の小説を読むことはほとんどありませんでした。特に理由があったわけではありませんが、当時の小生、小説と言うと、漱石だの芥川だの、ある程度評価の定まった、教科書にもその名が出てくるような作家のものを読むべし、といった固定観念に縛られていたような気もします。
そこでたまたま読んだ『錦繍』で、カルチャーショックを受けたのです。「現代作家も読んでみよう」というスイッチが入り、堰を切ったように、書店に行ってはいろんな作家の作品を手にするようになりました。
それまで現代作家さんはあまり知らなかったので、毎月の文庫の新刊を何冊か買い、面白いと感じた作家の作品をまた探して読む、というパターンでした。
書棚にどんどん本がたまっていき、それを作家ごとに整理するのも楽しんでいましたね。当時、冊数が多かったのは、まず宮本輝氏。宮本氏の作品は『青が散る』『避暑地の猫』など、当時文庫化されていたものはほとんど読了しました。宮本輝さんには“ハマった”と言えるでしょうね。その他、連城三紀彦氏・渡辺淳一氏・佐藤正午氏なども愛読しました。
ちなみに、佐藤正午さんに関しては、それから10年ばかりご無沙汰していたあと、世紀が代わった頃にまた数冊続けて読みました。以前のような荒々しさはありませんでしたが、奥行きのある文章に、(僭越ですが)作家としての成長を感じました。中でも“岐路”がテーマとなる『ジャンプ』は、(語彙が貧弱で申し訳ありませんが)非常に秀逸な出来である、と個人的に同氏の代表作に推させていただいております。
この他にも、山本周五郎氏・池波正太郎氏といった、時代小説にもはまりました。両氏の本は、小生の文庫コレクションでも、その数において1位と2位を競うほどです。一緒に取り上げると混同されてしまいそうですが、両氏の作風は全く別です。池波正太郎さんは『鬼平』シリーズや『剣客商売』シリーズで知られるように、エンタテインメント性の強い作風で、純粋に“面白く”読んでいくことができますね。
一方、同じ時代物でも山本周五郎さんの作品は、武家物にして市井物にしても、人の情が表に出る作風と言えるのではないでしょうか。また、緻密な考証で歴史解釈にも一石を投じた『樅の木は残った』を読んだ際は、「考察することに限界はないんだ」と感嘆したというか、白旗を揚げましたね。こりゃあ、すごいわ、と。
と、そんな具合で、特定作家の作品も読み集めつつ、できるだけ幅広く本を手にしたあの1年。就職で地元を離れるまでにおよそ130冊以上読了しました。読了数ならばもっと上をいく方も多数いらっしゃると思いますが、当時の小生としては、時間があれば本を読んでいたという記憶があります。おそらく、中学生以後のそれまでに読んだ冊数より、この1年間で読んだ数の方がずっと多かったのではないでしょうか。言わば小生の読書狂時代でした。
今振り返っても、あの頃はホントよく読んだよなぁ、と感慨深い思いで胸が満ちます。就職後はさすがに読書量は落ちましたが、あの頃の経験があるせいか、趣味欄には今でも、“読書”と臆することなく書くことができます。昔取った杵柄、ってやつかもしれませんけど。
ということで、本日はおしまいです。
あまりにフツーな内容で、オチがないのが、小生としてはおちっがない、おちっかない、おちつかない、落ち着かない、気分です・・・・・・。
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アイウィッシュアカデミーのHPの
“マンボウくんのひとりごと”には、当ブログ掲載前の7月からの
日記があります。
お時間あればお立ち寄りください。
Posted by マンボウくん at 13:55│Comments(0)
│本の話